はじめに

私が日本史に興味を持ったのは、小学2年生の時である。
当時、小学6年生だった姉が夏休みの自由研究で小倉百人一首について調べており、私も百人一首の本を読んで歌を覚えた。
歌を覚えていくうちに、歌を詠んだ人々やその人々が生きた時代について詳しく知りたいと思ったのが、日本史に興味を持ったきっかけである。

百人一首の歌人は、半数以上が平安時代の人であるから、まずは平安時代についていろいろと知った。
それから、平安時代の次にはどんな時代がやってきたのかが知りたくなり、他の時代についても知るようになった。

こうして日本史に興味を持った私は、小学6年生になって、初めて京都の地図を見た。
その時、中心部の多くの通りがほぼ場所も変わらず、千年以上前と同じ名前を名乗り続けているということに感激したのである。
しかし、よく見ると大路だった通りが狭くなっていたり、逆に小路だった通りが広くなっていたりするのに気付き、平安京の街路の変遷に興味を持った。

だが、その時は何を読めば平安京の街路について分かるのかが分からなかったので、調べることはできなかったが、高校生になってから少しずつ文献を読み始め、大学生になってから各街路ごとにまとめることができた。
読むべき文献は膨大な量であり、今も全て読みきれてはいないが、これからも少しずつ読んで充実したコンテンツにしていきたいと思う。

現在、平安京の羅城門・大内裏・邸宅などの史跡は石碑が建っているに過ぎないが、街路は千年以上もの間、広さや雰囲気を変えつつも「人が通る場所」という同じ用途で使われ続けてきた「生きた史跡」ともいえるだろう(一部の街路を除く)。
「この通りは○○が△△した場所だ。あの時、○○はどんな気持ちだったのだろう?」などと考えながら歩いてみるのもおもしろいのではなかろうか。
メインである「大路・小路」では、街路の変遷やその街路にまつわるエピソードなどを紹介している。

これを読んで、平安京の街路であった通りを歩いてみたいなと少しでも思っていただければ幸いである。
もし、これを読んだのをきっかけに、平安京、さらには日本史に興味を持つ方がいらっしゃれば、「紅涙満眼(九条兼実『玉葉』より引用)」といったところである。

最後に、「花の都」は大学から大学院に至るまで社会科学の畑の人間であり、人文科学を専門的に学んだことのない私が趣味で作ったコンテンツであることをお断りしておく。

令和五(2023)年5月29日追記

かねてより記載内容の全面改訂を行いたいと思っていたものの、まとまった時間がなかなか取れない中で令和五(2023)年の年明けに重い腰を上げ、追加の文献調査及び発掘調査結果の調査を行い、約半年かけて全面改訂を完了させた。
調査を進める中で感じたことは、歴史学や考古学の分野においては一般人がアクセスしやすい形になっていない情報が少なくないということである。

調査自体は私自身の知的好奇心を満足させることが最大の目的ではあるが、元々アウトプットをするのが好きであり、私と興味・関心が重なる方の一助となればという思いで「花の都」を制作している。
先述のように私は研究者ではなく、「調べ魔」が制作した「まとめサイト」にすぎないかもしれないが、以下の4点にこだわりを持っている。

現在の通り名ではなく平安京の街路名で立項すること、史料上や研究者の論文の世界にとどまっている情報を含め、散らばっている情報を街路ごとにまとめてアウトプットすること、可能な限り出典を明示すること、ウィキペディアのように誰でも編集可能なメディアやソーシャルメディアではなく、オウンドメディアにおいて発信することである。

今後も定期的なアップデートを心がけていくので、興味がある方は継続してご覧いただければ幸いである。